鳥と山野草の話

鳥類と山野草、主にシダ植物を書いたりします。

追憶の母 4

母が実家で髪結いや婚礼の仕事を行うようになって10年近くが過ぎた。その間に数歳下の妹が近くの農家に嫁に行った。傷痍軍人の旦那さんであったが、見かけではどこが悪かったのかはわからない。実家よりは豊かで牛がいた。しかも嫁ぎ先の一家は本人、舅、小姑などの面々、皆眉目秀麗、男兄弟など全員イケメンだった。叔母もなかなかの美人で、母は後で聞いたが、羨ましくて妬ましかった、と言う。そりゃそうだ。友人が先に結婚しても腹が立つのに、姉妹の妹の方が先に嫁に行く、などガマンならないのがホンネである。ただ、母は足が悪く、先々も結婚などユメなのだろう、とひたすら我慢をして顔に出さず、稼いだカネで妹の嫁入り支度を手伝った。そして弟二人やさらに下の妹たちを育てて行く。そうしているうち義父が亡くなった。たいして役に立たない義父だったが、母を可愛がってくれた彼が亡くなったのだ。心に大きな穴が空いた。祖母は相変わらず農業に勤しみ、亭主が死んだ悲しみに浸る間もない。日本では戦争の足音がひたひたと迫っていた。穏やかでない世の中になって来たのだが、そこへ、なんと、母に縁談が持ち上がったのである。相手は一度結婚して離婚したオトコ、つまりバツイチ!しかし、贅沢は言っておられない、結婚を諦めていた娘に縁談だ。祖母は喜んだ。稼ぎ手の長女がいなくなったら苦しくなるが、皆、それぞれ成長している。成人したり嫁いだりして食い扶持は減っている。祖母は張り切って相手の親戚筋を調べに行き、別に文句を言うほどの家ではなく、それどころか男の父は隣町の庄屋の出、母親はずっと離れた伯耆の方の大庄屋の娘だとわかった。少々、母の家とは吊り合いが取れない気もしたが、向うもすべて承知の上だろう。一応、見合いを承諾し、先方が仲人と一緒に訪問してきた。オトコは美丈夫で長身、体格は良く俳優も裸足で逃げ出すほどのイケメンだったそうな。後々、父の(オトコは私の父である)若かりし頃のシロクロ写真を見て、おっ、イケメン!と思ったもの。まあ、母も足は悪かったが村でも評判の美人ではあった。先方は大いに気に行ってくれ、母の方も喜んで話を受けたのである。当時の父は何をしていたのやら、よく知らないが、戦時色の強くなっていた頃で、鉱山の仕事をしていたような話を聞いたし、嫁いだ家は鉱山の社宅だったというから、きっと鉱山の仕事をしていたのだと思う。鉱山は母の実家から20キロ離れた山奥にあり、そこまでバスが通っていた。三菱系の大きな鉱山で、これでもかと言うほどの山奥に、鉱山町が形成されていて劇場、病院、大衆浴場などが整備、大きな町のようであった。その鉱山町の長屋に小さな整理ダンス一つを持って、母は嫁に行った。28歳の頃だったと聞いている。当時としては大いに晩婚、年増の行かず後家などと悪口を言われる年齢であった。数年後、太平洋戦争が勃発し、父は赤紙召集令状)をもらうことになるのだが!