鳥と山野草の話

鳥類と山野草、主にシダ植物を書いたりします。

介護講習の思い出

昔、介護講習を受けたことがある。ホームヘルパー2級の資格を取る為の講習で、高齢化社会に突入しかけていた。私の母は身体障害者で左足が悪かったので、いずれ介護が必要になるから、ヘルパーの資格を取っておけばノウハウがわかって良い、と考えてのことだ。ヘルパーでカネを貰おう、という魂胆ではない。母が足を折って車いすを押して病院へ連れて行った時、わずかの段差を上げることができず、難儀をした。講習を受ければ色々なことを教えてもらえるだろう、と期待して、市役所に申込書を出しに行った。市が後援をしていて了承がもらえれば、講習料がタダになるらしい。足の悪い母親の介護に備えて、と記入した。一週間後に講習料無料の連絡がもらえる。半年間の講習で、隣町にある養護老人ホームまで毎日9時から夕方5時までびっしりの、過密なスケジュールだった。2週間は電話帳ほどもある分厚い教科書の学科。そのあとちょこちょこと実地が入り、学科が終わるとそのホームで本格的に実地ばかり。最後は自分の町の養護老人ホームでアルバイトのようにホームヘルパーの見習いをやった。ヘルパーの講習なのだから当たり前だが、一日に5軒の家を訪問させられたのには閉口する。かかわったお年寄りは色々な方がおられたが、半分は認知症のあった方。半分はヘルパーなんかいるのかな、と思いたくなるような元気なお年寄りだった。講習を受けたホームでの実地勉強は入所者のお世話なのだが、大勢の入所者に対して職員が少なく、午前のオムツ替えなど、決まった時間に全員を交換する必要があり、アルバイトよりもずっと頼りない学生扱いの我々は、職員にとって迷惑な存在に違いなかった。おむつ交換などをさせると、時間がかかってたまらない。職員は眉間に皺をよせ、見ているだけで良いから、と汚物入れのバケツを持って付いて回ることになった。手際よく交換するのを見ていたのだが、自分の母親にはもっと丁寧にやろう、と心の中で思う。バケツはすぐに一杯になり、それを専用のコーナーに運び込み、空のバケツと交換してくる。午後からはお年寄りの入浴介助講習だ。動けない入所者はベッドごと入れる浴槽があって、五人くらいで取り囲んで洗ってあげたり、洗髪なども手分けして行う。すると、こっちを手伝って、とお声がかかり、この方に服を着せてあげて下さい、と職員に言われ、ハイハイとバスタオルを受け取り、体を拭いて服を着せにかかった。最後に靴下を履くため、椅子に腰かけてもらい靴下を構えていたら、パチンと頭を叩かれた。小柄なおばあさんだったが、目が座っている!早くしろ、風邪を引く、と怒鳴られた。なんだ、このばあさまは?とこちらもびっくりしたが、職員が割って入り、むこうの白髪のおばあちゃんを手伝ってあげて、この人はちょっと難しいから、と交代してくれたけれど、後で聞いたら、意地悪ばあさん、というあだ名が付いているワケアリのお年寄りだったそうな。白髪の方は少し小太りだが綺麗で上品なお年寄り。自分一人で出来そうな感じだったけど、やはり認知症があり、傍で見守りが必要な入所者なのだった。このホームにいるお年寄りは全員が認知症持ちですよ、と専任の看護師さんが教えてくれた。食事の介助で一人の横について、怪しい行動があれば手伝った。もうすぐ家の者が来るから、来てから食べる、と言ったお年寄りは、可哀そうに思えた。家のヒトなんて一回も来たことがない、というのだ。別に問題アリの方ではないのに、どういう家庭だったのか?昔の事だから、たぶん生きてはおられないだろうが、大事にして上げようよ。いずれ自分が通る道、と思った。ホームヘルパー2級の資格は無事もらえて、母の介護ではとても役に立った。母の介護は24時間介護を一人で担ったけど、一日にヘルパーを2回来させ、週に一度は看護師、デイサービスを2回と使える介護サービスはフル活用して対応した。情報は行政に電話したりケアマネジャーから仕入れたが、寝たきり三年間の介護はハードであった!