鳥と山野草の話

鳥類と山野草、主にシダ植物を書いたりします。

選挙応援の思い出

若いころ選挙の手伝いをしたことがある。25歳だったから、もう大昔の話だ。当時は我が町が市制ではなく町制で、人口も二万ちょいのマアマアな町の選挙。町長選で候補者二人の一騎打ち。その候補者が同級生の父親だった。応援を頼まれてボランティアで一週間、べったり無報酬で手伝った。対抗馬は町の現助役。同級生の父は元町会議員。人望があるヒトだったので手伝うことにした。助役が良い噂を聞いていなかったから、よけいに町長などになってほしくなかったのもある。朝の八時から夜の八時まで宣伝カーを走らせることができたので、第一日目には車で半日ウグイスをやってくれ、と言われ、自信はないが車に乗り込んだ。候補者は助手席、ウグイス嬢は後部の左座席。運転手の後ろには応援に駆け付けた国会議員のおっちゃんが乗って、頼りないウグイスの指導をしてくれるという。ウグイスはなかなか大変だ。往来をヒトがいたら、○○をよろしくお願いします。○○でございます!とすれ違いざまにマイクで声をかける。初めは恐る恐るだったが、1時間もやっていると慣れてきて、ウグイスも堂に入ってきた。広場があれば候補者が下りて演説を始める。誰も居なくてもしゃべり始めたら、知らない間にヒトが集まり街中では群衆になった。事務所に戻ったら演説をやった時のヒトの数を黒板に書いておく。午後からは別のヒトと交代し、国会議員のおっさんも女性の国会議員に替わっていた。手弁当で集まってくれたヒトたちが10人以上いて、候補者の住んでいる地域からは日役で住民が出てきた。お茶だ、お菓子だ、炊き出しだ、と事務所は賑やかである。翌日は女性の議員さんがウグイスをやる、と言って出て行った。たいした応援団だ。彼らは候補者からカネをもらってきているのではない。所属の党から命令されて来ているらしい。候補者は一応無所属ということだったが、応援する党があるらしかった。事務所の二階に上がってくれ、と言われて上がったら、長座卓の上にズラリと黒電話が並んでいる。当時はダイヤル式でピ、ポ、パ、のプッシュ式ではなく、ジーコン、ジーコンの面倒くさい電話を使って、一軒ずつ有権者に電話で投票を依頼しろと言われた。有権者名簿と電話帳を渡されて、調べながら電話をかけて○○でございます、投票の節はなにとぞよろしく、と猫なで声でペコペコ頭を下げながら依頼する。プライドの高い者ならカネを貰ってもやりたくない仕事だろう。しかし、まだ若かったからプライドなんてあるわけがない!やれ、と選挙参謀に言われ、ハイハイと言われた通りに電話をかける。一日中、何十件もジーコン、ジーコンをやって、喉が痛くなった。有権者の数は多い。5人くらいで掛けたが、留守で出ない家があり、そういう所は後でまたかける。しつこいことだ。「わかりました、入れさせて頂きます」とか「頑張ってください」と色よい返事に聞こえた所は丸をつける。「うちはあっちの候補者の知り合いなので」と断る者などは解りやすい。勿論バツ印だ。田舎なので、皆、概ねバカ正直な人間が多かった。今みたいに携帯電話もスマホもパソコンもない時代で、テレビは色の悪いフラットテレビだったが、十分用は足せた。選挙運動も終盤になると票読みが出来てきて、この分だと当選しそうだ、と町中で噂をする。新聞記者が様子を見に来たりして事務所は活気を帯びてきた。結局、手伝いはホボ電話掛けに終始した気がする。ウグイスは終り頃、もう一度やったが、雪が積もりだして翌日の投票日に有権者が投票所へ行くだろうか、と心配したものだ。手伝った候補者は町長に当選した。三分の二の票を取っての当選だったが、手弁当で皆が手伝ったのだけれど、食べ物や飲み物、電話代、暖房の電気、灯油代などは候補者持ちのはず。他にも出したカネがたくさんあっただろう。

選挙とはカネがかかるものだ!