鳥と山野草の話

鳥類と山野草、主にシダ植物を書いたりします。

讃美歌を伴奏する!

教会の賛美奉仕をすることになった。礼拝の時に歌う讃美歌をオルガンで伴奏するのである。もう15年以上前に何年かやっていたのだが、母親が寝たきりになり、介護の必要があって中断してしまった。その後、母は亡くなり時間はできたが、別に何人か奏楽者がいたのを良いことに、奉仕をしなかった。奏楽奉仕者はいつも二人いて、三人は必要ないだろう、と甘えていたのだが、一人がコロナでできなくなった。感染したのではなく、看護師でコロナ騒動の為時間が取れなくなったとのこと。残るは一人だ。一人で讃美歌伴奏を担当するのは、はっきり言ってきつい!毎日曜日、礼拝の度に駆り出され1時間半の間に6曲の演奏をする。前奏曲と後奏曲は独奏で、長さは一定でない。長い曲もあり、技術的に難しいものも多い。あと、讃美歌の伴奏が4曲あり、前奏と後奏は毎回同じでも許されるが、讃美歌は牧師指定の曲になり、毎回変わる。讃美歌も簡単な曲から難しいものまで色々あり、しっかり練習して臨まないと上手く弾けなくてコケることがある。止まってしまい、恥をかく羽目になる。演奏を請け負うと、休む暇なく練習に追われる。演奏者が一人だと病気やケガもできない。奏楽者がいなくなるからだ。だから、奉仕者は多いほど助かる。その奏楽者が一人になってしまった。教会の役員が「やってくれ」と言ってくる。初めは「嫌だ!」と蹴った。教会の楽器はデジタルピアノが故障して、いつの間にかどっかから貰ってきたドイツ製の巨大オルガンに替わっていた。何百万もする楽器だったらしいが、古くなってクビになる所を頂戴したようである。足元は左右、端から端まで足鍵盤がズラリと並び、手元の鍵盤は二段式でボタンが勘定できないほど並んでいる。大聖堂でも使える楽器だった。ピアノやデジタルピアノしか弾いたことがない者には、大いに怯む楽器である。

礼拝のメッセージで、牧師が「神からの賜物を持っている者は奉仕に使わねばならない」と、耳の痛くなるようなことを言われてしまう。たった一人になった奏楽者は、時おり用ができて礼拝を休み、曲を録音しておく始末。上手に録音演奏されていたが、機械相手は歌いにくい。ヒトが機械に合わさねばならないからだ。とうとう、奏楽者が休むときだけさせてもらう、と申し出た。もったいぶっていると思われそうだが、じつのところ15年もブランクがあると、上手く弾くのは無理なのだ。十代や二十代の若者なら良いが、こちとら高齢者である。昔は弾けていた曲でも、すっかり手も頭もバカになっていて、思うようには動かないのだ。しかも、讃美歌には決まった伴奏譜がない。四重唱の合唱譜を適当に変えながら演奏するという、曲芸まがいのことをやらねばならない。事前にしっかり演奏方法を決めて伴奏をするのだから、なかなかに骨が折れる。歳を取っていると頭での変換はスムーズに行かない。引き受けたものの昔のようには演奏できず、これはえらいことを受けてしまった、と後悔した。相当に練習しないと演奏中にコケて恥をかく。先生は伴奏が止まっても歌は止めないから安心しろ、とおっしゃるが、そんな問題ではない。それに、オルガンはやっぱり弾きにくかった。譜面台は天井のように高い所で見にくい。足の下は鍵盤だ。足鍵盤が鳴らないように音を切って、何度も教会に通い練習した。1時間やるとへとへとになる。受けたのは12月中旬で演奏は1月中旬、ひと月あったが、すぐにその日がやってきた。十二分の体制を取り本番に臨む。ゆっくりとリードしてくれる先生の声が良く聞こえて助かった。走って歌われると伴奏しにくい。前奏と後奏は優しい曲を使い、なんとか対面を繕うことが出来たが当番は毎月やって来る!