鳥と山野草の話

鳥類と山野草、主にシダ植物を書いたりします。

子供の身体能力

テレビのニュースで最近の子供たちは、学校から帰ってきてから遊ぶサッカーができない、身体能力が落ちているからだ。指導している大人が嘆かわしそうに言っていた。勉強や習い事、小学生のうちから中学への受験勉強に忙しく、たまに時間があればゲームだのラインだのと、体を使わない!もっと外で子供同士、遊んで欲しい、と。

ごっこなどは体の色々な個所を使うので、身体能力の向上にとても良いそうだ。そういえば、最近の子供たちは昔のような遊びをほとんどやらない!私たち団塊の世代が子供のころは、終戦後で都市は一面焼け野原。物がなくカネもなく、皆、とても貧しかった。遊び道具にカネを出す余裕などない!その辺に転んでいるものを利用して遊んだのだ。パッチンという男の子の遊びでは、古いハガキを折って座布団のような物を作り、それを互いに叩きつけて相手のパッチンをひっくり返せたら、それが自分の物になった。石なんご、という遊びは道端に転んでいる大人の親指の爪を一回り大きくしたような小石を集めて、石を上に30センチほど放り上げ、落ちてくるまでに一つ、二つ、三つとつかみ取る。うまく取れれば一つづつ増やして失敗するまで取り続ける権利がある。私は、この遊びが苦手でいつも三個くらいしか取れなかった。男の子でも参加できて器用な子はたくさん取れる。遊び終わったら石を隠しておいて、また別の時に遊ぶのだが、その石を誰かに奪われてしまうことがあるので、上手に隠しておかないといけない。重いので家に持って帰ったりはしなかった。縄跳びなども今は上等の合成繊維製の物が手に入るが、当時はタダの物でないといけないので、荷物を括り付ける稲ワラで作った縄だ。仲間が5人くらいならそこそこの長さで飛ぶ。誰かが足をひっかけたらその子は縄を回す役になる。大勢の仲間になれば長い縄を調達してくる。大抵は農家でもらってきて遊んだ。お手玉なども親が端切れで作ってやり、それを学校に持って行って休み時間に遊ぶ。私は両手で二つのお手玉を使う技術しかなかったが、上手な子は片手で5個くらいのお手玉を放り投げて遊ぶことができた。そして皆が尊敬の眼差しを向けるのだ。男の子でも上手な子がいたが、まあほとんどは女の子の遊びであった。
冬になると体育館で先生も交えておしくらまんじゅうや、馬飛びをして体を温めた。道具など必要がないスポーツなのか遊びなのかわからない。ただ、体力が必要なことは確かだ。春と秋には遠足があり、今は乗り物を使うのが当たり前だが、当時はバスや汽車(そのころは鉄道でSL)に乗るのは修学旅行くらいで、他は山登りが一般的な、確かに遠足だった。春はちょっと遠い所の山に行く。山まで10キロくらい歩かせてそれから山登りだ。1000mくらいの山に登って頂上まで着いたら昼ご飯である。食べて30分ほど自由行動をしたら下山となる。子供は元気だが、引率の先生はさぞかしウンザリだっただろう。子供が事故を起こさないか常に目を光らせなくてはならない。登山道も当時は細く急な山道ばかりで、思い起こせば危険としか言えないような道が多かった。今ならPTAが目の色を変えて、危険だ、そんな所へ連れて行くな、とクレームの嵐だろう。しかし、そのころの親は文句など言わなかった。学校や先生に文句を言うなど無礼なことはしなかったのだ。なにしろ、三歩下がって師の影を踏まず、といった時代であった。卒業式には必ず、仰げば尊し、を合唱したものだ。そして、秋には手近な里山への遠足がある。だいたい500mくらいの山に上がった。学校生活は体力がないとできないし、子供たちの身体能力が高かったのも頷ける!