鳥と山野草の話

鳥類と山野草、主にシダ植物を書いたりします。

背を伸ばすには牛乳!

私は終戦後すぐの生まれで俗に言う団塊の世代。食糧事情の悪い時代で、しかも住んでいたのはドがつく田舎の山奥だった。農家が多くコメはあったが、豊富な食糧に恵まれた地域ではなかった。だから、周りにいた子供たちは栄養不足で、今のように体格の良い子はあまりいない。しかし私は同級生たちの中でも頭一つ背が高かった。金持ちの家の嬢様ではないが、母親が美容師をしていて他所よりは少しばかり裕福で、ひもじい思いはなかった。父は川魚を捕るアミを製造していて、アミができたら試しに川へ持って行って漁をする。捕れるのは川魚だが川で漁をする者がほとんどいなかったので、いつも大漁で、それを近所に配ったり家でのオカズになっていた。幼稚園に行きだしたころ牛乳配達が牛乳を持ってくるようになった。私と兄の分でガラス瓶に入った200㏄が2本。母が飲まないとうるさいのであまりおいしくなかったけど、しぶしぶ飲んだが兄はたまにしか飲まず、母が仕方なく飲んでいた。父は牛乳ではなく日本酒で、幼稚園の娘に20円を渡して夕方に酒を買いに行かせる。今なら虐待だ、と警察に垂れ込まれるかもしれない。酒は2級酒を1合だけ。数年後、事業を展開してからは1升瓶で買うようになったが。牛乳と川魚で育った私はニョキニョキと大きくなって、中学に入ったころは家でも一番背が高くなった。山奥から20キロ離れた国鉄の駅がある町まで出てきてから、朝にパンを食べるようになった。近所にパン屋があってホカホカのパンが朝一で買えたから、家族で私だけパンと牛乳を食べる。兄がパン食になったのはそれから10年も後で、もっと幼い時からせっせと牛乳を飲んでいれば、妹に背を越されるという屈辱的な思いはしなくて済んだと思う。彼は魚を食べていた。私も同じものを食べていたのだが、私は骨を上手に取れなくて、父も骨まで食べろ、と言ったが、兄は魚の骨を上手に分けて食べていたので、この辺もカルシウムの摂取量が異なるはず。高校生になった兄は妹が傍に寄るのをひどく嫌った。今思うと妹よりもチビの自分が悔しかったからに違いない。何十年も牛乳を飲んでいるニンゲンは同年代ではあまり見ない。成長期でないと効果はないが、牛乳は生まれた子牛が成長するための完全食である。売ってあるのは水増ししてあり美味しくないが、搾りたてはとても美味しいと聞く。わが子がすらりと背の高いニンゲンになってほしければ、牛乳を飲んでもらうことだ。ちなみに、私は牛乳の会社の回し者ではけっしてない。牛乳アレルギーのヒトは飲まないでください!