12月に雪が沢山降ると、その冬は豪雪になることが多い。今までずっとそうだった。だから、去年の12月にあまり降らなかったのでちょっと安心していた。年を越して1月に入り元日も足元が広くて、ちょうど教会の聖日礼拝と元日礼拝が重なったのだが、改まった服装も汚れることはなく、良い正月だった。中旬までは1月らしくない天候でニュースを見て、豪雪に振り回される中越や東北方面の方たちは大変だなあ、と気の毒に思う。そのまま1月が下旬へと過ぎて行き、今年は雪が少ないか?と感じたころにドッと来た!大雪が降る、停電もあるかも、豪雪災害の準備を怠らないように!気象庁の会見で渋い顔をした予報官が透明マスクを着けて言った!豪雪も困るが、停電はもっと困る。べつにオール電化をしているわけではないが、我が家には居間や台所に、寒いのお断り!の植物とペットのオカメインコがいるのだ。インコは11歳で高齢になる。下敷きのようなヒーターを終日付けていて、主が外出の際はファンヒーターを消してオイルヒーターに替えておくほど、温度には注意している。部屋の温度は16度以下にはしない。20度が好ましいが節電のため16度に設定している。それでテーブルの上は18度になる。停電は大いに困るのだ。特に大型カトレアやコチョウラン、セントポーリアは寒がりなので気を遣う。ポトスも低温には弱い。雪は24日の朝から警報が出たが、大降りになるのは午後からだとのことで、急いで午前中にスーパーへ走って籠城の準備をした。午後から予報通りしんしんと降り始めて見る間に10センチ20センチと積もった。これは溜まるぞ、と思いつつ翌日を迎えて、やっぱり!である。30センチほどあった。そして25日の午前中にさらに10センチ上乗せで40センチ。カーポートの後ろは特に多く、50センチくらいに見える。吹き溜まりなのだ。除雪車なんか来ないから自力ではねないと車を出せない。しかし除雪車が通る大通りまで50mはある。そんな所まで雪かきはできないしする気もない。ご近所さんは若いモノがいなくて高齢者ばかりだ。とりあえず玄関の前と車の後ろを少し取ったが、ずぶぬれになった。雪はねをしながら昭和38年のサンパチ豪雪を思い出した!当時高校生でバスが通らないので同級生と2キロの道を歩いて行ったが、1時間近くかかって校門までたどり着いたのに閉まっていた。大雪なので臨時休校をします、と張り紙がしてあった。のんきな話だ。せめて電話で知らせてくれ、と文句を言いながら同級生と来た道を戻った。同じ町内の生徒だから、放っておかれたらしい。何10キロも離れた所から通学している生徒も多かったが、彼らには連絡が行ったようだ。
それから20年後、59豪雪というのがあり、これは凄かった。近くの大きな店の建物が潰れたのだ。紙問屋だった。潰れた建物の隙間は無茶苦茶になった紙だらけだ。屋根には1mを超す大雪で、潰れたのはその家だけではなかったし、雪下ろしをしていて屋根から落ちて死んだヒトが50人ほど出た、と聞いている。隣町の新しく建った中学の体育館の屋根から落ちて、先生が二人亡くなった。絶対に登るなと建築会社の職員が言ったのに、言うことを聞かずに登って転落したのだ。1mくらいの積雪なら心配はない、ということだったのに、魔がさしたのだろうか?私の家は当時ボロの平屋だった。ヤバイかも、と思っていたら、教会の宣教師さんがスノウダンプを担いでやってきて、「私が雪を落として上げます、あなたは危ないから下の雪を片づけてください」とおっしゃる。フィンランドから来ておられたセンセーで、慣れているから、と1時間ほどで落としてくださった。とてもありがたかったが、下に落とされた雪は通行の邪魔になる所で、片づけるのに夕方までかかった。若かったから対応できたが、今ならお手上げである!24日から降り出した雪は3日目に上がって、少し溶けたが、すぐにその次からまた警報が出て20センチ積もった。屋根の上には50センチほど乗っている。