鳥と山野草の話

鳥類と山野草、主にシダ植物を書いたりします。

核廃棄物を仕舞う場所

最近、海の真ん中のヤマネコが住んでいる島で、原発のゴミを捨てられるか、否かを調べる、お上の提案に手を上げようか、どうしよう、と悩んでいる自治体が話題になっている。手を上げて、それでは地域を調査させてもらう、とお上が返事をくれたからといって、そこがゴミ捨て場になるわけではない。あくまで調査である。しかし調査にはあちこち掘り返したり岩を割ったりして、住民に迷惑をかけるからと、お上が迷惑料を払ってくれるのだ。それも、10万や20万ではない。何億というカネを包んでくるのだ。もっとも、核のゴミを仕舞っておくのだから、日本国中の原発から出たもので、その原発が儲けたカネから出しあうのだと思っている。だが、手を上げた自治体の住民はほぼ半数が反対だ。で、自治体のトップ、町長とか市長になるが、彼らは「調査を許可しただけですよ、決定などさせませんから」ご安心を、と続くのだろう。お上の形振りかまわない焦りが目に見えるようである。そして、ずるい自治体である。カネだけふんだくろうという魂胆だ。調査費の名目で数億円。みみっちい話である。どこの地域が一番適しているかを、さっさと国が調べて当たりをつけたら、国の国家予算に匹敵するカネで買収して、その自治体に住んでいる住民一軒当たりに100億円くらいを提供する。なるべく人の少ない、限界集落みたいな先が見えている町村を狙えば、1兆円もかからないのでは?それくらいやらないと、核のゴミ捨て場は未来永劫決まらない!反対するのが目に見えているのに、お上は馬鹿な連中ばかりだ。やっぱり、あーだこーだと言っている間に、自分の出る幕がなくなるから、はい、では次の議員様に引き継いで交代!だ。議員さまはほぼお年寄りが多いから、先が見えている。たまに若い議員さまもいるけど、核の仕舞えないゴミのことをどれだけ真剣に考えているのかわからない。あと何年かしたら、高齢者がどんどん死ぬから人口がガクンと減って、誰も住民が居なくなる自治体ができてくる。そこを国有化して、ゴミ捨て場にしよう、などと考えているのかもしれない。早くしないと、福島の処理水みたいにタンクだらけの日本になるかも?原発のゴミはタンクに入れるのも一苦労だろう。いったい何mの厚みがある鉛の入れ物を作れば可能なのか?どこやらの大国が狙っているという、日本の南の島に夜、こっそりと捨てに行ったらどうか?こっそりと、泳いで夜の間に上陸して、岩の間に岩に似せた入れ物の中に入れて、転がしておいてもわからない。ヒトが泳いでウロウロしても、レーダーには引っかからないだろうし、名案ではないか!

むかしの運動会

むかしの運動会はにぎやかだった!70年ほど前の山奥にある小中合同の運動会で、人数が少ないから午前中で終わってしまい、午後からは村総出の村民大会をやっていた。まだ幼稚園だったから、出番はあまりなかったが、当時は娯楽の少ない時代で、映画館もなくて、映画は学校の講堂とか公民館を借りてやっていたころだ。テレビなどは論外、ただ我が家にはラジオがあった。運動会は今みたいに春や初夏にやって、熱中症で救急車を呼びつけることもない。だいたいが農家の稲刈り終了後に行われていた。だから10月の中旬ごろで、天気は良い。毎年、運動会の日は大方決まっているので、親が学校からわら半紙にガリ版で刷ったプリントを受け取り、ブツブツ言いながら我が子のために運動会の小物づくりを始める。最初は日の丸の旗作りだ。割りばしに半紙を切って巻き付け、真ん中に赤い日の丸をつける。母はいつも湯呑茶碗を伏せて丸を書いていた。赤い色は絵の具だったと思う。幼稚園児がいる家は必須だった。四歳上の兄がいたので玉入れの玉を二個作って持ってくるように、というお達しで赤と白の玉を作らねばならない。この球は毎年作って献上するのに、どういうわけかちっとも増えなかった。紙を硬く丸めて作るので、古いものは壊れていくらしい。プログラムには小球バスケットと書いてあったが、誰も玉入れと言っていた。幼稚園の演技は短いダンスと大玉転がし、そしてメインはパン拾いである。パンはアンパンとクリームパンが白い紙の袋に二個入っていた。今ならビニールの袋に入るのだろうが、当時はモノのないころで紙袋だ。大玉は先生たちが日夜奮闘して作った物。小学生では初めのころ紅白の区別に男女ともハチマキを使用していた。勿論、親が紅白の布地をどこかから調達してきて袋縫いするのだ。裏表で色を変えたリバーシブルである。何年かったって、田舎も少し裕福になってきたころ、女子はハチマキ、男子が帽子と決まった。男子の全員演技にハチマキ取りと言うのがあって、騎馬戦の一種で体重の軽い男の子が上に乗り、相手とつかみ合いをやってハチマキを奪うのだ。弱い子は騎馬から落馬して擦り傷の一つや二つは当たり前だった。旗取りというのもあって、長いコイノボリのポールみたいな柱を数人の男子が支えている。敵のポールによじ登りみごと旗を取って来れば勝ちなのだ。運動会の花形はやはりリレーで、男子女子と別れたり、混合の年齢別などでは親も地区のニンゲンもコースわきまで出てきて声援した。レースは最後の方なので、これが終わると昼ご飯を食べて、次は村民大会である。この大会では、毎年どこかの地区とケンカになるのが恒例だった。揉めに揉めて、地区ぐるみ帰ってしまうことも珍しくない、熱の入れようだ。すごい金額の賞金が付くわけでもないのに、やはり、本当に娯楽が少なくて、皆楽しみに待っていた大会だったからか?村民大会の華は俵担ぎである。30キロのコメが入った俵だ。それを担ぐレースである。屈強な若者でないと担ぐだけで精いっぱいなんてことになる。私は父が俵を担いで走っている所を覚えているが、残念なことに写真一枚もない。我が家にカメラが来たのはもっと後の話だ!

Gセブンサミット

Gセブンサミットが始まった!侵略を受けている北国からも、急遽トップが来られるという。サミットの大切な話は多いが、大国から理不尽な侵略を受けた国を、正義ある民主主義の国は応援してしかり、と思う。けれども、テレビや新聞のニュースを見て、心の奥底がこそばゆい気になるのはなぜだろう?それは米国に匹敵する大国が、侵略者にすり寄っているのを見たし、そうかとおもえば侵略されている国に使者を送って、中立を装ったりしているからだ!実に信用ならない!まあ、昔からそうだったが。だいたい国同士なんて昨日の友は今日の敵である。良いことがないとわかれば、すぐに回れ右をする。口ばかりだ。初めのうちは揃って手を差し伸べるが、時間がどんどん経って、いつ終わるやらわからなくなると、応援している方も疲弊して来る。だから、サミットの参加国は大変だろう。思っていることを言って、自国に不利を被ることは避けなくてはならない。だから、キツネとタヌキのだましあいに見えてきてしまう。早く戦争を終わらせなくてはならない。チマチマと小出しの応援をしている欧米には腹がたつ。そもそも、米国が侵略しても武力の横車は押さない、などと明言するものだから始まってしまったのだ。ガツンと一発手痛い制裁を食らわせてやりたいだろうが、なにしろ彼の国は核大国である。そうでなくても、旗色が悪くなってきては核攻撃をチラつかせている。ならず者の国だ。戦争が終わっても、当分は信用も何もない情けない国に転落だ!頼みの化石燃料など資源輸出も、優秀な代替エネルギーが出てくれば、もうお呼びでなくなる。国を疲弊させ、国民を分裂させ、しまいに国そのものがなくなってしまう。もし、彼の国が核を持っていなければ、とっくの昔にナトーから総攻撃を受けて、昔の日本みたいに国中焼け野原になっていたかもしれない。核を持っていなければ、いくら軍隊の数が多く武器も心配がないほど持っていても、戦争を仕掛けたりはしなかったはず。核の力はスゴイのである!使わなくても、チラつかせるだけで大いに役立つのだ。だから、我が国の近くの最近、人工衛星と称して何発も打ち上げ実験をしているあの国にもキツイお灸をすえたいけど、できないでいる。核をもっていなければとっくに米国のお灸が据えられていそうだ。サミットの七か国には核を持っている国がいくつかある。今回我が国の広島で開催され、核廃絶の声がさらに声高に挙げられたのだが、これも私の心を痒くする原因なのだ。核は持ったが最後、手放したのは今、惨禍に会っているウクライナくらいのもので、絶対に手放さない。手放せばイラクウクライナみたいに侵略される。手放してはいけない見本みたいな現実だ。ヒトはそもそも好戦的な生き物なのだ。歴史が証明している。武器を発明して、それがだんだん強烈になり殺傷能力が上がったモノとなってきた。核はその集大成だ。核以上に強烈な一発で国が吹き飛ぶようなモノができれば、核は廃絶へと向かうかもしれないが、今のところは無理な相談に思える。建前と本音は異なるのだ、と言いたい。

ヘビノネゴザ

ヘビノネゴザという名のシダがある。大きく成長したモノは50センチほどもある葉で、石垣などにダラリと垂れ下がって生えているのだが、どこにでもある、と言うシダではない。ただ、ある所には、そこら中生えていて、見た目もキレイでも何でもない。わが町にはあちこち生えているが、今だかってヘビが寝転んでいるのなど見たことがなく、誰が命名したのやら?我が国は1000種近いシダが自生しているシダ王国で、植物学者が面倒くさくなって付けた名ではないか、などと思ってしまう。ただ、このシダ、またの名をカナクサとも言い、鉱山などに好んで生えるので、昔のヒトが鉱山を探すのに使ったと聞いたことがある。カナクサが群生している所を掘ったり探索して、鉱石を探したらしい。確かに、我が町の金山跡とか、ずっと奥の錫鉱山へ行けば、このシダがこれでもか、というほど生えている。錫鉱山は明治末期に発見され当時の日本の80パーセントを産出されたという、大鉱山である。タングステンや金、銀も出たそうで、今は閉山して鉱山街もさびれてしまったが、まだ、まだ掘れば出るそうだ。まあ、外国から買ってくる方が安くつくので閉めてしまったようだが、諸外国が売ってくれなくなれば、また掘るのかもしれない。鉱山街の石垣はもちろんカナクサだらけだ。金属に反応するからカナクサというのだが、我が家の近くの集落にも溝などに群生しているのを見かけるから、もしかしたら土の下に金や銀が眠っているのかもしれない。金山があった所は30キロほど川の上流になるが、やっぱりヘビノネゴザが好んで生えている。山野草を採りに行った時も、珍しいシダなどには出会えなかった。「ぜーんぶネゴザ!」一緒に行った奥さんが発した言葉である。「ネゴザには用がない、せめて、ビロードシダあたりを」と無理な注文をする。ビロードシダが欲しければ、金山よりももっともっと奥の渓谷に入らなければならない。上流に行けば大きな滝がいくつもある。不動滝と名のつく滝があり、必ず横に不動尊の像が祭られていた。不動と付かなくても祭ってある滝が多い。落差100m近い大きな滝があり、その渓谷に入ればビロードシダが手に入る。珍しい山野草も多いが、マムシも多い。もしかしたらヘビノネゴザの上で昼寝をしている連中もいたかもしれないが、あまり出会いたくないお方である。昔は金属探知機などなかったから、このシダは貴重な存在だったのかもしれないが、なにしろ見た目がパッとしない。せめて、クジャクシダのように美麗な姿なら良かったのに、また名前も悪かった!

汚染水処理

原発事故で溜まりに溜まった汚染水が大きなタンクに1000個も溜まったそうだ。とうとう今年の夏以降に海洋放出するらしい。先送り、先送りで1000個も溜まってしまった。もう、にっちもさっちも行かない。大気に放出するか、海に流すか、と数年前から関係者を集めては相談していた。ニュースでその都度流すのを聞いて、白けることこの上ない。東電も政府も、なんとかして国民をごまかそうにかかっていたが、アルプスなどとあだ名をつけられる前に、さっさと海に流したらよかったのだ。漁業者の生活が、とか近隣のうるさい国々のクレームが、と評定していたのだろう。関係ないモノが勝手なことを言うな、と怒られそうだが、では、他にどんな良い方法があるというのだ?あるなら、教えていただきたい。先送りしたあげくが、この溜まりようだ。しまいに福島県一杯どころか本州島がタンクだらけになる!結局、流すより方法がないのに、ぐずぐずしていてこの様だ。お偉い方々は、踏ん張って先送りをしていれば、そのうち定年退職だの移動だので関係が亡くなる、それまでの辛抱だ、なんて思っていたのではないか?お偉い方々は、何か起これば、責任を取って辞めます、と逃げられる。しかし、ことは原発関係、放射性物質が相手なのだ。そう簡単に逃げてもらっては困る。もっと早く決断すれば、こんなにタンクを並べなくても済むだろうに!方法がないのだ!漁業者の方々も、地域住民の方々も、津波のせいでこうなったのだから、仕方がない。放っておくともっともっと、困ったことになるのだ。こうなったら、東電とお上から、なるべく高額の慰謝料を踏んだ食って折り合いをつけよう。諸外国だって皆、海に流しているのだ。どれだけ高濃度の汚染水を流しているのか調べて、大きな看板に表示するが良い。事故を起こした原発では多くの職員や工員が命を懸けて、日夜後始末をしておられる。彼らが企んで起こした事故ではないのにだ!ロボットアームの高性能機器が開発されて、少しづつ溶けた燃料を回収しているらしい。今は耳かき一杯ずつだが、そのうち工事現場で活躍するような、すごい重機でごそっとかきとれるような日が来ると思う。ただ、ごっそりとかきとって、事故現場から持ち出した後が大変だ。強い放射線を放つガラクタをどこに収容するのだ?それを考えるのが先だと思う。こちらは海に流せ、なんて言うことはできない。チェルノブイリよりも分厚くて地震にも津波にもびくともしない、鉛の入れ物を作って保管するのか?危険な原発を設置しているのだから、いっそその下を1000mほど掘って、その危険物質を仕舞っておくより仕方がなさそうだが。

豪雪は脅威!

12月に雪が沢山降ると、その冬は豪雪になることが多い。今までずっとそうだった。だから、去年の12月にあまり降らなかったのでちょっと安心していた。年を越して1月に入り元日も足元が広くて、ちょうど教会の聖日礼拝と元日礼拝が重なったのだが、改まった服装も汚れることはなく、良い正月だった。中旬までは1月らしくない天候でニュースを見て、豪雪に振り回される中越や東北方面の方たちは大変だなあ、と気の毒に思う。そのまま1月が下旬へと過ぎて行き、今年は雪が少ないか?と感じたころにドッと来た!大雪が降る、停電もあるかも、豪雪災害の準備を怠らないように!気象庁の会見で渋い顔をした予報官が透明マスクを着けて言った!豪雪も困るが、停電はもっと困る。べつにオール電化をしているわけではないが、我が家には居間や台所に、寒いのお断り!の植物とペットのオカメインコがいるのだ。インコは11歳で高齢になる。下敷きのようなヒーターを終日付けていて、主が外出の際はファンヒーターを消してオイルヒーターに替えておくほど、温度には注意している。部屋の温度は16度以下にはしない。20度が好ましいが節電のため16度に設定している。それでテーブルの上は18度になる。停電は大いに困るのだ。特に大型カトレアやコチョウラン、セントポーリアは寒がりなので気を遣う。ポトスも低温には弱い。雪は24日の朝から警報が出たが、大降りになるのは午後からだとのことで、急いで午前中にスーパーへ走って籠城の準備をした。午後から予報通りしんしんと降り始めて見る間に10センチ20センチと積もった。これは溜まるぞ、と思いつつ翌日を迎えて、やっぱり!である。30センチほどあった。そして25日の午前中にさらに10センチ上乗せで40センチ。カーポートの後ろは特に多く、50センチくらいに見える。吹き溜まりなのだ。除雪車なんか来ないから自力ではねないと車を出せない。しかし除雪車が通る大通りまで50mはある。そんな所まで雪かきはできないしする気もない。ご近所さんは若いモノがいなくて高齢者ばかりだ。とりあえず玄関の前と車の後ろを少し取ったが、ずぶぬれになった。雪はねをしながら昭和38年のサンパチ豪雪を思い出した!当時高校生でバスが通らないので同級生と2キロの道を歩いて行ったが、1時間近くかかって校門までたどり着いたのに閉まっていた。大雪なので臨時休校をします、と張り紙がしてあった。のんきな話だ。せめて電話で知らせてくれ、と文句を言いながら同級生と来た道を戻った。同じ町内の生徒だから、放っておかれたらしい。何10キロも離れた所から通学している生徒も多かったが、彼らには連絡が行ったようだ。

それから20年後、59豪雪というのがあり、これは凄かった。近くの大きな店の建物が潰れたのだ。紙問屋だった。潰れた建物の隙間は無茶苦茶になった紙だらけだ。屋根には1mを超す大雪で、潰れたのはその家だけではなかったし、雪下ろしをしていて屋根から落ちて死んだヒトが50人ほど出た、と聞いている。隣町の新しく建った中学の体育館の屋根から落ちて、先生が二人亡くなった。絶対に登るなと建築会社の職員が言ったのに、言うことを聞かずに登って転落したのだ。1mくらいの積雪なら心配はない、ということだったのに、魔がさしたのだろうか?私の家は当時ボロの平屋だった。ヤバイかも、と思っていたら、教会の宣教師さんがスノウダンプを担いでやってきて、「私が雪を落として上げます、あなたは危ないから下の雪を片づけてください」とおっしゃる。フィンランドから来ておられたセンセーで、慣れているから、と1時間ほどで落としてくださった。とてもありがたかったが、下に落とされた雪は通行の邪魔になる所で、片づけるのに夕方までかかった。若かったから対応できたが、今ならお手上げである!24日から降り出した雪は3日目に上がって、少し溶けたが、すぐにその次からまた警報が出て20センチ積もった。屋根の上には50センチほど乗っている。

プロパンガスなのに値上がり!

我が家は小さな田舎町にあり、燃料は電気とガスと灯油しかない。しかもガスは市ガスなどではなく、ボンベに入ったプロパンガスである。ガスの中でも一番高い燃料で、災害の時にいち早く使用できる、という利点しかない。災害列島の我が国ではとても貴重なエネルギーではあるが、昨年あたりからガス代がじわりじわりと値上がりし始めた。風呂も暖房も台所もすべてガスで行っているから、その値上がり分は馬鹿にできない。特に風呂はとても高くつく。友人宅は灯油を使っているから、ここの所のガス代高騰ぶりにもあまりガタガタ言わない。家を建てた時、風呂のボイラーはガス以外に考えがなかった。懇意にしているガス屋さんは、設計図を見せるから、と呼びつけたら、揉み手をしながらカタログを片手にやって来てくれた。灯油で風呂を沸かす、ということを聞いたのは何年も後になってからだ。実に脳天気な話である。ただ、当時はそんなに騒ぐほどの値段ではなかった。エネルギーで一番高くつくのは電気で、その次がガス、灯油が一番安かった。40年ほど前のことだ。古い家を安値で買って、しばらくしてから壊して新築したのだが、その古い家が農協のガスを使って風呂と台所のボイラーを回していた。だから、当然、新しい家もガス、となってしまった。ただ、室内の暖房は灯油のファンヒーターを使っていた。これは熱エネルギーがダントツで、安普請の家でも早く部屋を暖めてくれる。それに灯油を量販店に行って買えば、びっくりするほど安かった。エアコンは冬場はけっして使わなかった。大雪が降り朝はマイナスを記録する我が家の町は、自慢じゃないがとても寒い!5Lのタンクのファンヒーターも満タンで、一日しか持たない。寝る前には絶対に灯油を入れておかねば、朝に寒い目をする。若いころは良かったが、歳を取ってきて、5キロの灯油が重く感じだした。もっと少ない灯油缶だと1日持たない。「だったら奥さん、ガスファンヒーターになされば?燃料をいちいち入れる必要はありませんぜ」ガス屋の甘言に乗せられて、ついその気になってしまった。ガス代のことなど頭の隅にもない。ファンヒーターは灯油のモノより安かった。工事はすぐに終わって、ヒーターも気が変わらないうちに、と思ったか、それは見事に早く届けられた。ガスの火力は灯油にも負けない、素早く部屋を暖めてくれる。灯油と比べて燃料代は倍以上に跳ね上がったが、こちらは高齢者の仲間入りをしていて、重い灯油を毎日ぶら下げる気が起こらなくなっていた。ガス代の値上がりに目を剥いたのは、昨年の冬からだ。年金暮らしになっていた。灯油のボイラーで生活している友人は、燃料代高騰の愚痴を全くこぼさない。彼女は電気で暖房をしているのだが、12畳の部屋をエアコンと電気ストーブ二台で温めている。冬は2万円を超す電気代らしいが、ガスや灯油のヒーターは使いたくないと言う。私は寒くなって何万円も請求書をよこすガス屋に腹が立ってきた。都会のように外国から高値で買ってきたLNGを使っているのではない、プロパンガスなのだ。なぜ同じように調子に乗って値上げするのか?便乗値上げだ!政府は都市ガスのことばかり値上がりを申し訳ないと言い、プロパンガスのことはカケラも言わない。賄賂でも貰っているのではないか、プロパンガスの人口は多いはずである。このことを公約にしてくれる議員を投票したいと思ってしまう。

つい先日、近くの量販店から12000円の可愛いサイコロのような灯油ファンヒーターを購入した。3.5リットルの超小型ヒーターだ。それから1.8リットルの灯油缶などを買い、いつもガソリンを入れるスタンドに電話をして灯油の配達を頼んだ。スタンドの配達員はガス屋のオヤジより早く灯油を持ってきてくれた。2120円を払った。これをヒーターのタンクに入れて一日に8時間ほど使っている。ガスと併用である。難点は付けたり消したりの時、とても臭いので台所の換気扇を回して間の扉をしばらく開けておく必要があること!ヒーターそのものはエコ機能が付いたり、昔のモノと比べてとても優秀になっており驚いたことである!