鳥と山野草の話

鳥類と山野草、主にシダ植物を書いたりします。

ヘビノネゴザ

ヘビノネゴザという名のシダがある。大きく成長したモノは50センチほどもある葉で、石垣などにダラリと垂れ下がって生えているのだが、どこにでもある、と言うシダではない。ただ、ある所には、そこら中生えていて、見た目もキレイでも何でもない。わが町にはあちこち生えているが、今だかってヘビが寝転んでいるのなど見たことがなく、誰が命名したのやら?我が国は1000種近いシダが自生しているシダ王国で、植物学者が面倒くさくなって付けた名ではないか、などと思ってしまう。ただ、このシダ、またの名をカナクサとも言い、鉱山などに好んで生えるので、昔のヒトが鉱山を探すのに使ったと聞いたことがある。カナクサが群生している所を掘ったり探索して、鉱石を探したらしい。確かに、我が町の金山跡とか、ずっと奥の錫鉱山へ行けば、このシダがこれでもか、というほど生えている。錫鉱山は明治末期に発見され当時の日本の80パーセントを産出されたという、大鉱山である。タングステンや金、銀も出たそうで、今は閉山して鉱山街もさびれてしまったが、まだ、まだ掘れば出るそうだ。まあ、外国から買ってくる方が安くつくので閉めてしまったようだが、諸外国が売ってくれなくなれば、また掘るのかもしれない。鉱山街の石垣はもちろんカナクサだらけだ。金属に反応するからカナクサというのだが、我が家の近くの集落にも溝などに群生しているのを見かけるから、もしかしたら土の下に金や銀が眠っているのかもしれない。金山があった所は30キロほど川の上流になるが、やっぱりヘビノネゴザが好んで生えている。山野草を採りに行った時も、珍しいシダなどには出会えなかった。「ぜーんぶネゴザ!」一緒に行った奥さんが発した言葉である。「ネゴザには用がない、せめて、ビロードシダあたりを」と無理な注文をする。ビロードシダが欲しければ、金山よりももっともっと奥の渓谷に入らなければならない。上流に行けば大きな滝がいくつもある。不動滝と名のつく滝があり、必ず横に不動尊の像が祭られていた。不動と付かなくても祭ってある滝が多い。落差100m近い大きな滝があり、その渓谷に入ればビロードシダが手に入る。珍しい山野草も多いが、マムシも多い。もしかしたらヘビノネゴザの上で昼寝をしている連中もいたかもしれないが、あまり出会いたくないお方である。昔は金属探知機などなかったから、このシダは貴重な存在だったのかもしれないが、なにしろ見た目がパッとしない。せめて、クジャクシダのように美麗な姿なら良かったのに、また名前も悪かった!

汚染水処理

原発事故で溜まりに溜まった汚染水が大きなタンクに1000個も溜まったそうだ。とうとう今年の夏以降に海洋放出するらしい。先送り、先送りで1000個も溜まってしまった。もう、にっちもさっちも行かない。大気に放出するか、海に流すか、と数年前から関係者を集めては相談していた。ニュースでその都度流すのを聞いて、白けることこの上ない。東電も政府も、なんとかして国民をごまかそうにかかっていたが、アルプスなどとあだ名をつけられる前に、さっさと海に流したらよかったのだ。漁業者の生活が、とか近隣のうるさい国々のクレームが、と評定していたのだろう。関係ないモノが勝手なことを言うな、と怒られそうだが、では、他にどんな良い方法があるというのだ?あるなら、教えていただきたい。先送りしたあげくが、この溜まりようだ。しまいに福島県一杯どころか本州島がタンクだらけになる!結局、流すより方法がないのに、ぐずぐずしていてこの様だ。お偉い方々は、踏ん張って先送りをしていれば、そのうち定年退職だの移動だので関係が亡くなる、それまでの辛抱だ、なんて思っていたのではないか?お偉い方々は、何か起これば、責任を取って辞めます、と逃げられる。しかし、ことは原発関係、放射性物質が相手なのだ。そう簡単に逃げてもらっては困る。もっと早く決断すれば、こんなにタンクを並べなくても済むだろうに!方法がないのだ!漁業者の方々も、地域住民の方々も、津波のせいでこうなったのだから、仕方がない。放っておくともっともっと、困ったことになるのだ。こうなったら、東電とお上から、なるべく高額の慰謝料を踏んだ食って折り合いをつけよう。諸外国だって皆、海に流しているのだ。どれだけ高濃度の汚染水を流しているのか調べて、大きな看板に表示するが良い。事故を起こした原発では多くの職員や工員が命を懸けて、日夜後始末をしておられる。彼らが企んで起こした事故ではないのにだ!ロボットアームの高性能機器が開発されて、少しづつ溶けた燃料を回収しているらしい。今は耳かき一杯ずつだが、そのうち工事現場で活躍するような、すごい重機でごそっとかきとれるような日が来ると思う。ただ、ごっそりとかきとって、事故現場から持ち出した後が大変だ。強い放射線を放つガラクタをどこに収容するのだ?それを考えるのが先だと思う。こちらは海に流せ、なんて言うことはできない。チェルノブイリよりも分厚くて地震にも津波にもびくともしない、鉛の入れ物を作って保管するのか?危険な原発を設置しているのだから、いっそその下を1000mほど掘って、その危険物質を仕舞っておくより仕方がなさそうだが。

豪雪は脅威!

12月に雪が沢山降ると、その冬は豪雪になることが多い。今までずっとそうだった。だから、去年の12月にあまり降らなかったのでちょっと安心していた。年を越して1月に入り元日も足元が広くて、ちょうど教会の聖日礼拝と元日礼拝が重なったのだが、改まった服装も汚れることはなく、良い正月だった。中旬までは1月らしくない天候でニュースを見て、豪雪に振り回される中越や東北方面の方たちは大変だなあ、と気の毒に思う。そのまま1月が下旬へと過ぎて行き、今年は雪が少ないか?と感じたころにドッと来た!大雪が降る、停電もあるかも、豪雪災害の準備を怠らないように!気象庁の会見で渋い顔をした予報官が透明マスクを着けて言った!豪雪も困るが、停電はもっと困る。べつにオール電化をしているわけではないが、我が家には居間や台所に、寒いのお断り!の植物とペットのオカメインコがいるのだ。インコは11歳で高齢になる。下敷きのようなヒーターを終日付けていて、主が外出の際はファンヒーターを消してオイルヒーターに替えておくほど、温度には注意している。部屋の温度は16度以下にはしない。20度が好ましいが節電のため16度に設定している。それでテーブルの上は18度になる。停電は大いに困るのだ。特に大型カトレアやコチョウラン、セントポーリアは寒がりなので気を遣う。ポトスも低温には弱い。雪は24日の朝から警報が出たが、大降りになるのは午後からだとのことで、急いで午前中にスーパーへ走って籠城の準備をした。午後から予報通りしんしんと降り始めて見る間に10センチ20センチと積もった。これは溜まるぞ、と思いつつ翌日を迎えて、やっぱり!である。30センチほどあった。そして25日の午前中にさらに10センチ上乗せで40センチ。カーポートの後ろは特に多く、50センチくらいに見える。吹き溜まりなのだ。除雪車なんか来ないから自力ではねないと車を出せない。しかし除雪車が通る大通りまで50mはある。そんな所まで雪かきはできないしする気もない。ご近所さんは若いモノがいなくて高齢者ばかりだ。とりあえず玄関の前と車の後ろを少し取ったが、ずぶぬれになった。雪はねをしながら昭和38年のサンパチ豪雪を思い出した!当時高校生でバスが通らないので同級生と2キロの道を歩いて行ったが、1時間近くかかって校門までたどり着いたのに閉まっていた。大雪なので臨時休校をします、と張り紙がしてあった。のんきな話だ。せめて電話で知らせてくれ、と文句を言いながら同級生と来た道を戻った。同じ町内の生徒だから、放っておかれたらしい。何10キロも離れた所から通学している生徒も多かったが、彼らには連絡が行ったようだ。

それから20年後、59豪雪というのがあり、これは凄かった。近くの大きな店の建物が潰れたのだ。紙問屋だった。潰れた建物の隙間は無茶苦茶になった紙だらけだ。屋根には1mを超す大雪で、潰れたのはその家だけではなかったし、雪下ろしをしていて屋根から落ちて死んだヒトが50人ほど出た、と聞いている。隣町の新しく建った中学の体育館の屋根から落ちて、先生が二人亡くなった。絶対に登るなと建築会社の職員が言ったのに、言うことを聞かずに登って転落したのだ。1mくらいの積雪なら心配はない、ということだったのに、魔がさしたのだろうか?私の家は当時ボロの平屋だった。ヤバイかも、と思っていたら、教会の宣教師さんがスノウダンプを担いでやってきて、「私が雪を落として上げます、あなたは危ないから下の雪を片づけてください」とおっしゃる。フィンランドから来ておられたセンセーで、慣れているから、と1時間ほどで落としてくださった。とてもありがたかったが、下に落とされた雪は通行の邪魔になる所で、片づけるのに夕方までかかった。若かったから対応できたが、今ならお手上げである!24日から降り出した雪は3日目に上がって、少し溶けたが、すぐにその次からまた警報が出て20センチ積もった。屋根の上には50センチほど乗っている。

プロパンガスなのに値上がり!

我が家は小さな田舎町にあり、燃料は電気とガスと灯油しかない。しかもガスは市ガスなどではなく、ボンベに入ったプロパンガスである。ガスの中でも一番高い燃料で、災害の時にいち早く使用できる、という利点しかない。災害列島の我が国ではとても貴重なエネルギーではあるが、昨年あたりからガス代がじわりじわりと値上がりし始めた。風呂も暖房も台所もすべてガスで行っているから、その値上がり分は馬鹿にできない。特に風呂はとても高くつく。友人宅は灯油を使っているから、ここの所のガス代高騰ぶりにもあまりガタガタ言わない。家を建てた時、風呂のボイラーはガス以外に考えがなかった。懇意にしているガス屋さんは、設計図を見せるから、と呼びつけたら、揉み手をしながらカタログを片手にやって来てくれた。灯油で風呂を沸かす、ということを聞いたのは何年も後になってからだ。実に脳天気な話である。ただ、当時はそんなに騒ぐほどの値段ではなかった。エネルギーで一番高くつくのは電気で、その次がガス、灯油が一番安かった。40年ほど前のことだ。古い家を安値で買って、しばらくしてから壊して新築したのだが、その古い家が農協のガスを使って風呂と台所のボイラーを回していた。だから、当然、新しい家もガス、となってしまった。ただ、室内の暖房は灯油のファンヒーターを使っていた。これは熱エネルギーがダントツで、安普請の家でも早く部屋を暖めてくれる。それに灯油を量販店に行って買えば、びっくりするほど安かった。エアコンは冬場はけっして使わなかった。大雪が降り朝はマイナスを記録する我が家の町は、自慢じゃないがとても寒い!5Lのタンクのファンヒーターも満タンで、一日しか持たない。寝る前には絶対に灯油を入れておかねば、朝に寒い目をする。若いころは良かったが、歳を取ってきて、5キロの灯油が重く感じだした。もっと少ない灯油缶だと1日持たない。「だったら奥さん、ガスファンヒーターになされば?燃料をいちいち入れる必要はありませんぜ」ガス屋の甘言に乗せられて、ついその気になってしまった。ガス代のことなど頭の隅にもない。ファンヒーターは灯油のモノより安かった。工事はすぐに終わって、ヒーターも気が変わらないうちに、と思ったか、それは見事に早く届けられた。ガスの火力は灯油にも負けない、素早く部屋を暖めてくれる。灯油と比べて燃料代は倍以上に跳ね上がったが、こちらは高齢者の仲間入りをしていて、重い灯油を毎日ぶら下げる気が起こらなくなっていた。ガス代の値上がりに目を剥いたのは、昨年の冬からだ。年金暮らしになっていた。灯油のボイラーで生活している友人は、燃料代高騰の愚痴を全くこぼさない。彼女は電気で暖房をしているのだが、12畳の部屋をエアコンと電気ストーブ二台で温めている。冬は2万円を超す電気代らしいが、ガスや灯油のヒーターは使いたくないと言う。私は寒くなって何万円も請求書をよこすガス屋に腹が立ってきた。都会のように外国から高値で買ってきたLNGを使っているのではない、プロパンガスなのだ。なぜ同じように調子に乗って値上げするのか?便乗値上げだ!政府は都市ガスのことばかり値上がりを申し訳ないと言い、プロパンガスのことはカケラも言わない。賄賂でも貰っているのではないか、プロパンガスの人口は多いはずである。このことを公約にしてくれる議員を投票したいと思ってしまう。

つい先日、近くの量販店から12000円の可愛いサイコロのような灯油ファンヒーターを購入した。3.5リットルの超小型ヒーターだ。それから1.8リットルの灯油缶などを買い、いつもガソリンを入れるスタンドに電話をして灯油の配達を頼んだ。スタンドの配達員はガス屋のオヤジより早く灯油を持ってきてくれた。2120円を払った。これをヒーターのタンクに入れて一日に8時間ほど使っている。ガスと併用である。難点は付けたり消したりの時、とても臭いので台所の換気扇を回して間の扉をしばらく開けておく必要があること!ヒーターそのものはエコ機能が付いたり、昔のモノと比べてとても優秀になっており驚いたことである!

クスリに負ける!

7年ほど前、右足首近くに蜂窩織炎をやった。ホウカシキエンと読むのだが、急に足首が痛くなり赤く腫れてきて捻挫か、と思った。金曜日の夕方で翌日もその次も病院は休み!整形外科に行くつもりだったので月曜日まで辛抱したのだが、咳が良く出ていたのでかかりつけ医に行った。捻挫をしたと話したらセンセーはチラと足首を見て、すぐ血液検査、抗生剤の点滴、と慌ただしい。蜂窩織炎という病名で、その時初めて聞いた単語である。トマトそっくりな赤い色で足首から甲まで腫れあがって、完治するまでひと月以上かかった。幹部が固くなり心配になって皮膚科に行ったら、足を上げておくように、とのこと。言われた通り折に触れて足を上げること2週間、再び皮膚科に行って、柔らかくなったから、OKをもらったが、赤い色が沈着して茶色に染まった。それが何日何か月何年たっても元に戻らない。コーヒーを溶かして塗りつけたような濃い茶色で、格好悪くて温泉にも行けない。わが町には温泉が出るのだ。南と西の町はずれに浴場があり、普段は500円だが26日だけ半額になる。フロの日なんだそうだ。それを利用してよく行っていたが、ちょっと行くのを考える。茶色くなった足が気持ち白い所を出してくれるようになったが、5年たっても茶色の方が多い。そして2年前、その幹部が痛み出し硬いコブのようなモノが現れた。びっくりしてまた皮膚科に行ったら「あ、ステロイドを飲んでください」唐突に言われた。硬化性脂肪織炎、コウカセイシボウシキエン、です、とこれまた初めてのワードである。ちょっときつめの量から1週間で痛みはなくなり、少しずつ量を減らして今は2ミリのブレドニゾロンを飲んでいる。この足の茶色に変色した所は、夕方にはむくんで立派な大根になるし、白いただれが出てきたりして、とても面白くない。保湿剤にヒルドイドを出されて、せっせと塗った。朝夕に念入りに常用だ。応用範囲の広いマルチな軟膏らしかった。最初の1年くらいは何ともなかったが、2か月前、急にひどい痒みに襲われて、足の甲にポツポツと真っ赤なブツブツが出た。顔にもいくつか赤点が散った。甲から足首へと広がって茶色の皮膚の下部が真っ赤になった。茶色の部分から赤い色がはみ出して、よく見ると茶の下が透けて見える。猛烈に痒い!皮膚科に行くと、開口一番「虫刺されです」などと納得のいかない診断をされた。虫に刺された覚えはないです、イエダニでしょうか、と訊いたが、ダニではない、という。マイザー軟膏を処方された。ステロイドの上から二番目に強いクスリだ。顔は下から二番目の強さのステロイド軟膏アルメタで、手も痒いと言ったら、ベナパスタという抗ヒスタミン剤入りの軟膏を処方。足の猛烈な痒みにカチリという可愛い名前のかゆみ止めを出されて、マイザーの上から塗れ、という。赤くなった患部にはマイザーを最長10日間ぬってくれ、それ以上は禁忌。赤い湿疹は左足にも飛び火して、鮮血をぶちまけたような気味の悪い足になった。カチリは痒みをピタリと押さえてくれたが、足にしか使えない。きついクスリのようだ。薬をつけて回復を待ったが、一向に直らずしまいに右足両くるぶしに1円玉ほどのおおきな水ぶくれが出た!外くるぶしに二個、内くるぶしに一個。脱脂綿にワセリンを付けて落ちないように水ぶくれを被い包帯で巻いたが、朝には寝ているうちにつぶれて、夜には元通りになって、少しもカサブタにならない。頑固な水疱だ!皮膚科のセンセーは困惑をしていたが、やはり虫刺されのせいだ、とのたまう。誰が見ても虫刺されなんかじゃない。別の皮膚科に行ったらと知り合いが口をそろえる。私はおかしい、と思った。幹部はヒルドイドをせっせと塗った所に、申し合わせたようにして出ている。これはヒルドイドの副作用ではないかネットでヒルドイドを検索して調べたら、赤班が出ることがある、と書いてあった。もうセンセーにご注進する気はない。もらったすべての軟膏を中止した。水疱がめくれてしまった所に塗る抗生剤入りのテラコートリルという軟膏だけは使ったが。この間、足は洗えないし入浴もシャワーもできなかった。洗髪だけは長靴を履いてゴミ袋でスカートを作って足元までガードして、100均の雨合羽ポンチョを下着の上から着て行った。患部を濡らさないように涙ぐましい努力である。足の赤い湿疹はみるみるうちに回復へ向かい、水ぶくれはつぶれたままぺちゃんこになって、数日後にカサブタとなった。ああ、神の助け、それにしても、大量の薬を出す医者にも恐れ入った!

自前でガス製造

昔、40年ほど前のこと、週刊誌で「ブタのおしっこでメタンガス」、という記事を見たことがある。田舎の養豚業者がブタの糞尿の処理に困って、いっそ有効活用できないかと考えて、敷地内にコンクリートで糞尿をため込むプールを作った。そこに蓋をして、とりあえず自宅への配管を通して発酵を待ち、数か月後にブクブク泡が出る中、ガスらしきものを発生させるのに成功する。細い配管がガスコンロにつながれており、マッチで点火させると、みごとに着火して青い炎を生んでくれたそうだ。

そこの奥方はプロパンガスがやっていたことを、すべてブタガスで行うとのこと。煮炊きもの、風呂、暖房など全部である。おかげでガス代が浮いてくれて大助かりだ、と言っていた。今なら、ガス代がめっぽう値上がりしているから、もっともっと助かるだろう。ただ、メタンガスをため込んだ、素人の施設は聞くだけでかなりヤバそう!少しでもガス漏れしていれば、簡単に引火して大惨事になる。その後のことは聞いていないし記事になったのかはわからない。週刊誌などに乗ってしまい、県の保健所あたりからクレームが入って、取り壊しに遭ったかも?だが、ブタの糞尿どころかニンゲンさまの糞尿は、ほとんどが下水処理されている。水を海に流すまでに発生したメタンガスを有効活用しているのだろうか?今、天然ガスは世界中で奪い合いだ。燃料として使うのがほとんどだから、資源のない我が国など、中東の産油国や豪州にそっぽを向かれたら終わりである。水素だアンモニアだ、と代替エネルギーを使えるようにするため、国は懸命ではあるが、もう少し早くからできなかったのか?本当に我が国は平和ボケで、すべてどっかの同盟大国が、おんぶに抱っこをしてくれると思い込んでいる節がある。尻に火が付かないと腰を上げない。米国や欧州西側を敵に回して資源を取り上げられたことを忘れたのか!そして戦争に突入したのだが、戦時中は国民から金属と名の付くものを供出と名打って、鍋も釜も農器具も、はては寺の大きな釣り鐘まで取り上げたのである。なりふり構わずで、そんなところは今、隣国にケンカをふっかけて旗色が悪くなっている、どっかの北国に似ていた。しかし、その国は資源豊富な大国ではあるが、やっぱり世界の主要国からそっぽを向かれるのはマズイらしい。我が国はないないずくしだから、もっとマズイ!戦時中、木炭で車を動かした実績があるのだし、し尿でメタンガスが作れるのだから、自国で作れるものは自国で賄うように努力するべき。余談だが、我が町は山の間伐でできた木材チップとゴミを燃やして、すでに発電所で電気を製造している。もう何年も前からである。大手の商事会社が肝いりで手を貸している。だから我ら市民はゴミを分別するように当番まで決めて、その日は持って来た住民がインチキをしないように目を光らせる。核戦争の恐れが十分ある、と米国の大統領が言っていた。そんなことになったら、この激しい円安で燃料は全く入って来なくなるかもしれない。政府は科学者や国民の尻を叩いて、良い案を出させるように努めねばならない!

センニンソウ

教会の会堂入り口にある下駄箱の上に、白く可憐な花の山野草が飾られていた!十字の形をした美花をまとめて沢山咲かせる、可愛くて教会に見た目はぴったりの花が、実に美しくて目を引く。牧師夫人が道端から見つけて手折ってきたのだろう!「ああ、センニンソウですね、今が盛りの野性クレマチス!でも、これ、たしか毒草ですよ!」「そうなの?」と夫人は深く考えていない風である。センニンソウは日向の野原や河原、国道沿い、廃屋の周りや庭など放っておけばどんどん殖えて辺りを凌駕する。花の時期には一斉に咲き誇り、春のサクラも顔負けするほどに見事である!我が町は山沿いでクマにイノシシ、鹿にアナグマ、イタチと動物園みたいな場所なのだが、草食、雑食の動物たちは触るのも嫌って近くに寄らないと聞く。それはかなりの強い毒草だからで、肌につかえるとひどい皮膚炎を起こすらしい。花を目にすれば、手折って持ち帰りたくなるが、秋の観光シーズン、都会から植物好きの方々が車などでいらっしゃるだろう。センニンソウや同類のボタンヅルなどを知らずに持ち帰り、後でひどい目に合わねば良いが、と心配してしまう。ツタウルシみたいに山の奥まで遠征しないと出会わない毒草なら良いが、センニンソウ類は本当に身近なところに生えているのだ。町の堤防、いつもお世話になる医院の庭や駐車場、買い物に行くときに通る県道沿いにも今は花盛りだ!センニンソウとボタンヅルは相当植物に詳しいヒトとか、植物学者のセンセーでないと区別がつかない。遠目だと同じ物に見える。違いはボタンの花の葉によく似た葉をつけているのがボタンヅル、ハート型か大型スプーンみたいな形の物がセンニンソウである。どちらもキンポウゲ科に属して、日本国内と朝鮮半島、中国に分布する、と植物の本に書いてあった。毒草なのだが薬草でもある。薬になる植物で重病に効く薬を作るモノは、概ね毒草が多い。昔、世界初の麻酔薬を作った日本人、華岡青洲が用いた植物は、トリカブトやチョウセンアサガオなどの毒草だった。実験台になった青洲の奥方は副作用で失明した、という話だ。毒草は園芸品種にもたくさんある。ダリア、スズラン、ジギタリスなんかはヤバい植物でヒトでも殺せるから、ついうっかり舐めたりしないように忠告したい。ジギタリスコンフリーと間違えて食べてしまった、というニュースを以前に見たことがある。花が付いていなかったり若いツボミだと判別しにくいかも?怪しいモノは口に入れない方が良いが、コドモが誤って口に入れる恐れはあるから、家の中や敷地内に置くべからず!鉢植えも止めておく方が良い。じいちゃん、ばあちゃんだけの家だから、という方々もお孫さんとか夜叉孫さんなんかが訪問されるなら、やっぱり要注意です。家の敷地内にセンニンソウが繁茂しているなら、きちんと始末しておきましょう!そのときはゴーグルにマスク、長ぐつにゴム手袋、長袖の服に長ズボンを身に着けて肌を出さないように気を付けて!