鳥と山野草の話

鳥類と山野草、主にシダ植物を書いたりします。

シナノキシノブ

シナノキシノブを草友からいただいて駄温鉢で育てていたが、まだシダ収集を始めたころでノウハウがわからなかった。シダは1年でダメになりガッカリである。収集は近くの山野や渓谷での採取が主で、我が家の周りにも珍しくない物ならけっこうあった。シダの採取は長いお方と遭遇することが多いので、杖とか箒のようなものを持って行かねばならない。並みのお方なら、ああ、びっくりした!で済むが、ヤマカガシとかマムシなどだと一瞬、髪が逆立つ気がする。滝のそばなどには多いので、長靴を履いて行く。集めた当地のシダは名前がわかる物で120種ほど、なんだかわからない種を入れると150はあった。それらを家の横を流れる側溝のブロックにくっつけた。イヌワラビ類など土に生えている物は鉢植えだが、岩や木に生えている着生シダはブロックの穴が良い。シダだらけになった玄関前を見て、山奥から出てきた従妹が顔をしかめた。「まあ、ルリちゃんったら、こんな草を植えて!生えて生えて困るのに!」と馬鹿にする。余計なお世話だ。従妹は花が咲く植物でないと好きではないらしい。

山採りのシダは鉢に植えて大切にすると、なぜか機嫌を悪くする。水やりの加減が難しいのだ。ブロックやレンガにくっつけたシダは水が流れていってしまうので、それが彼らには良いらしい。従妹や興味のない友人に馬鹿にされながら、シダ収集を続けていた時、鉢を並べていたヒナ段のレンガからノキシノブらしき物が生えてきた。最初は細く短く、だんだん太く長く図々しく!30センチ以上になった葉を見て、これはノキシノブではない、と気が付いた。側溝の壁面からもあちこち顔をだし、3年もすると茂って茂って、それこそ従妹じゃないが困った。何度もむしって捨てるのだが、それは旺盛な繁殖力である。本で調べてシナノキシノブらしい、と思ったが、シダに詳しい高校の先生に見てもらい、お墨付きを得る。何年か前にもらったシナノキシノブが胞子を散らしていたみたいである。このシダは日本では石垣島や小笠原に自生しているとか、最近に絶滅危惧種の仲間入りをしたそうだ!ガラケーで写した写真は玄関前のレンガにくっついた、一番最初の連中で、冬はマイナス3度から5度と厳しいのに平気で越冬してくれる、頑張り屋なシダである!

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老々介護

母親の介護を10年ほどやったことがある。母は生まれつき右足が悪かったので、きっと介護が必要になるだろう、と想像していた。車社会になり商売をしていた父に運転免許を取るように言われ、勝手に自動車学校入学の申し込みをされており、唖然としたものだ。当時19歳だったが、女のドライバーは珍しく運転をしていれば振り返られた時代である。免許を取得すると即座に車が与えられた。トヨタの900CCパプリカで、慣れるまでこれに乗れ、上手になったら新車を買ってやる、とすべて父が決めた。クッラッチの付いた、今頃の女の子だったら乗れないような車が主流だった。

車を乗るようになって一番喜んだのは母だ。どこかへ行きたいときはバスを利用するか、休日に父か兄に頼んで車を出してもらうより方法がない。だが、男どもには頼みにくい母であった。そこへ娘が車を走らせるようになったのだ。毎日のように、店へ電話がかかってくる。どこそこのスーパーに行ってくれ、親戚に連れて行って欲しい。店での買い物は町内がほとんどだったが、親戚、特に実家や姉妹の嫁ぎ先は町外だ。連れて行って、翌日迎えに行く。その帰りに数件、買い物の梯子をして帰る。文句も言わず足になってくれる娘は、さぞかし使い勝手が良かったと思う。父も兄もクレームなど付けない。一番ウンザリしていたのは私だ。父は66歳で先立って兄が店を継いだが、中国が台頭してきて店を続けられなくなり廃業した。兄たち夫婦は都会に出ていき私と母が残った。そのころから、母の言動が少々おかしくなり始める。役場の保健婦さんに相談して介護保険の申請を受けたが、要介護3だった。まだ、家に残して私が買い物に行っても留守番はできたので、ホームヘルパー2級の資格を取りたいと思い、隣町の老人ホームへ講習に行った。役場が講習料無料の書類を出してくれたのはありがたかった。身体障碍者の親を介護したい、という理由だからで、期間は半年。家で留守番をしている母が、何かやらかさないかと気になり、毎日電話をかける。ガラケーを持っていたが、電話代節約のため、公衆電話を使った。何事もなく半年過ぎて2級の資格を取得できた。車いすで段差を押し上げるという技術は、何としても覚えたいことで、その他ベットから要介護者をラク車いすに移動させたり、ベッド脇の簡易トイレにうまく座らせる方法などはとても役にたった。介護者は私だけ。母が足を骨折したのはそれから数年後で、90歳台に入っていたヨボヨボの老人を手術する気がない整形外科の医師は、どこの施設をお世話しましょうか、と腹の立つことを聞く。そのころは私も60歳を過ぎていた。どうみても体力のなさそうな娘は、介護などできないと踏んだらしい。「家で見ますから」、老々介護になりますよ、だいじょうぶですか、などとしつこい。老々介護などと言う言葉を初めて聞いたのだった。その後寝たきりになった母を24時間介護で奮闘したが、ホームヘルパーさんを午前と午後の二回訪問させ、週一回看護師、口腔ケアのため技師を一回訪問してもらう契約も病院と取った。週二回町内の特別養護老人ホームにデイサービス利用。その日は安いオムツを買ったり金融機関や役場などの用事で走り回る。介護用品は店で買える物は直接行って購入すべし。ネットで買うと3割増しになる。彼らは不便な場所の住人だろう、と足元を見ているのだ。介護を始めて数年後、私も年金をもらい始めた。少ない金額ではあったけど、大いに助かる。役場からオムツを捨てるゴミ袋を半年分タダでもらったし、おむつ代の給付金6000円を商品券で給付され、これも助かった。ケアマネージャーといつも相談し役に立つ助言をしていただいた。全力投球の介護であった。今はとてもできないけれど!

アマミデンダ

アマミデンダは奄美大島の固有種シダである。以前、ヤフーブログに書いたことがあった自慢のシダだが、その時は写真を載せなかったし、旺盛な繁殖力でさらに殖えたので今回はガラケーで撮った写真を付けてみた。固有種で勿論、絶滅危惧種である。奄美に出向いて引っこ抜いてきたモノではなく、岐阜の業者から購入したシダだ。もう何年になるか、10年以上だと思う。一株2000円だった。シダ栽培初心者なのに図々しく絶滅危惧種などに手を出して、初めは栽培に振り回されたが、弱って枯れる直前に、隣町の元火山から採ってきた岩を玄関前に転がしていたので、それにケト土でくっつけてみたのが成功した。そこは西側で近所の家々の隙間から西日が当たる。だから夏は50パーセントの遮光ネットを張って、植物を守る。岩はブロックやレンガで囲まれてコケも色々生やした。ダイモンジソウやジンジソウ、ホウライシダ、ノキシノブなどが次々に飛び込んだが、アマミデンダは旺盛な繁殖力でそれらを蹴散らして、どんどん株を殖やして行く。初めは冬になるとシダの上に新聞紙や落ち葉を乗せて越冬させたが、はみ出ている連中も平気で春を迎えた。雪が20センチはいつも乗っていたが、雪のない年もある。それでも丈夫に冬越しをしてくれるので、最近はほったらかしだ。畳半畳ほどに株を群生させて、なんども欲しい方に上げたけど、すぐに殖える。奄美大島に返して上げたいが、いらない、と言われるのだろう。一度、島から持ち出された物は病気が付いているかもしれない。このシダは特別な許可が下りた業者だけ、販売を許されているとのこと。現地ではどういうふうに自生しているのか、見てみたいと思う。ハブなどが這っているジメっとした谷川沿いなどだろうか?我が家の自生地にはアオダイショウが侵入してきて、夏場は午前中でないと安心して外へ出られない。カナヘビやトカゲ、アマガエルなどが多いので、狙いに来るのだろうが、足のないお方は来てほしくない。カナヘビもアオダイショウも日本の固有種だそうだが、そうは思えないほど多く出没する。湿気の多いシダ好みの環境が、彼らにも好かれるのかも?

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初音ミクが歌う讃美歌

新生の歌という讃美歌集に、いともかしこし、という曲がある。教えてもらったのはフィンランド宣教師の先生で、彼は私が行っている教会を起こした方だ。諸人こぞりてしか知らない新米の求道者に、色々な曲を教えては礼拝で歌わせた。先生は足ふみオルガンを弾いて讃美歌の伴奏をされ、講壇の上でメッセージと忙しく、新生の歌は難しかったので大変だったと思う。ある時、好きな讃美歌をそれぞれ書いてください、次の礼拝に使いますから、とおっしゃる。だから、一番好きだった、いともかしこし、を書いたのだが、待てど暮らせど、この曲が礼拝に使われることはなかった。他の信徒や求道者のリクエスト曲は順番に使われたのに、なんでだ?先生が亡くなられた今でもわからなかったのだが、最近に新しく新生の歌の楽譜を買った。教えてもらった時はコピー譜だったので、譜面は長い年月の間にどっかへ行ってしまっていた。購入する機会に恵まれて手に入れたが、いともかしこし、はフラットが四個もある弾きにくい曲なのに気が付いた。先生ははっきり言ってオルガンは自己流で下手くそだった。フラット四個は手に負えない曲らしかった。教えて下さった時は片手でメロディだけ弾いておられた気がする。新しく譜面を手に入れて、いともかしこし、がなつかしく、先生の面影がちらついた。ユーチューブで上手なヒトの歌を聴いてみたいものだと思い、ネットで動画を探す。教会の信徒による合唱や独唱が次々に現れる。いくつか同じ歌手の名が並ぶので、この初音ミクという歌手はよほど上手いのか?どうやらプロのようだが。それをクリックしてみる。

可愛いアニメの少女が画面に現れて、歌が始まる。「いともかしこし、イエスのめぐみ、罪に死にたる身をも生かす、主よりたまわるあめのかてに、飢えし心も飽き足らいぬ、世にある限り、君の栄といつくしみとを、語り伝えん」少女の声は美しく透き通って、音程がぶれることもなく、実に素晴らしい!この世にこんなきれいな声を出すニンゲンがいたのか、というほどの歌である。天使の歌声、とはこういう声では、と感激する。三番まで聴いてしまった。ミクの歌は三番まで進んでも初めと全く一緒!まるで判を付いたかのように同じ歌いまわしだった。美しい歌声には感激したが、動画を閉じてから、何かおかしい、と心がささやく。あまりにも機械的な歌声に違和感が募った。初音ミクで検索すると、ページにずらりと記事が並ぶ。ミクの声はコンピューターが作り上げた人工の声だった。なるほど、美しくうまいだけではヒトの心を納得させられないのだ。少々下手でも心を込めて歌った讃美歌に神様は扇を広げられる。

ヒメタニワタリ

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 草友からいただいた超珍品シダを育ててかなりの年月が経った。今年に入って出てきた新葉が大変美しいので、携帯ガラホで撮影する。葉は大きくて長い。どこがヒメだと言いたくなる。このシダは日本でも小笠原と沖縄諸島の二か所にしか自生していないというヒメタニワタリで、絶滅危惧種になっている。これは胞子培養で育てた物を頂いた。誰かが現地で引っこ抜いてきたのではなく、胞子を採取してきたらしい。シダの図鑑ではハート型のもっと小ぶりな葉だったのに、肥料が効きすぎたのだろうか、それとも育ててくれているニンゲンに礼の意味で、大きな葉を展開してくれたとか。株は山野草用の信楽焼4号深鉢に入れて、赤玉土と近くの元火山から失敬してきた抗火石の砕いたものを混ぜて植えている。それに透明なビニール袋を被せ、天井部分は開けてあるが、全体に湿度が高い状態で台所の明るい所へ陣取っている。夏はエアコン、冬は暖房の恩恵にあずかれるように、それは気を遣うのだ。肥料はマグアンプKの大粒を二個、液肥は使わない。水切れに注意して、絶えず土の表面が湿っている状態にしてある。そろそろ、葉の裏の胞子が熟して株の足元にハラハラと落ちる頃になる。上手くいけば前葉体からシダの赤ん坊が見られるだろう!


紫花から白花が出る!


紫のセントポーリアミニ種を作って15年以上になる。自慢をするな、と言われそうなのだが一つの株をずっと育てているのだから、他人に見せた時ついつい自慢してしまう。エンゼル種という多花性の美麗な花で挿し木、葉挿し、株分けなどで良く殖えて困るほどである。けれども冬越しはけっこう難しい。5度以下だと冬は越せないので温室か一日中温かい、しかも明るい部屋に置くかどちらかだ。花の好きな方に上げてみるが100人中99人はダメにする。カトレアの冬越し並みにやっかいな方だ。だがf:id:himesida:20210614225508j:plain、温かくなって初夏から夏になると、我が世の春とばかりに元気を出して次々とツボミを出し、紫の小花が咲き誇る。15年も見ていると花には悪いが少々飽きてきて、白い花ならきれいだろうな、とこっそり思ってしまった。種でも蒔くのなら期待もできるが、株分けだの挿し木だの葉挿しだの、無理難題というもの。白い花が咲いて欲しい、など、ゴメン!と謝ってみたが、咲いてくれたら超うれしいよ、とまた心で思う。セントポーリアは台所のシンクの上に置いて家事の都度眺め、ヤクルトの入れ物で水を与える。その時つい手が使えて葉がポロリと落ちてしまい、それをゴミ箱に入れればよいのに納豆の入れ物に水を張って、落ちた葉を浮かせてしまうのだ。これは百発百中成功し根を下ろして小苗が誕生する。クローンのようなものだから親と同じものが出来て、10か月で開花となる。去年の7月、落とした葉をまたまた納豆の容器に浮かせたのだが、どういうわけか中々芽が出ない。根は出していたのに何か気に入らなかったらしい。葉にカビが付いてきた。普通なら即ゴミ箱行きだが、なんと芽が出てきていた。必死になっているように見えて、捨てるのをはばかられた。葉に着いた石鹸カスのような白いカビをそっと洗い落とし、そのまま育てた。鉢上げはいつもより時間がかかったが40日くらいでポットに移す。秋になり冬になった。アマゾンの空き箱に入れて割りばしで四隅に柱を作り透明のビニール袋を被せてからテーブルに置いた。照明の真下で、テーブルの下にはガスファンヒーターが半日稼働してくれる。留守中はオイルヒーターで加温し、春までの半年間カトレアやポトスなどと冬越しをする。カビ付きの小苗はどんどん大きくなったが、葉の色だけが親のように深緑にならず若草色のまま成長した。肥料も水も親兄弟と待遇は同じである。近所の花好きな同級生が覗きに来て、葉の色を不思議がった。なんで?と訊かれる。こっちが知りたいわ!

そして、春になり初夏になった。それぞれの株にツボミが付き始め、健気なカビ付きにも花が上がってきた。ツボミがどんどん膨らんで花の状態が想像できるようになり、心が躍る!白いツボミだ!開いたら中が薄紫か?あかんで。白くなってナ!毎日穴があくほど眺め倒されて、カビ付きだった小苗はりっぱな白花を咲かせてくれた。真ん中だけちょっと紫が残っているけど、本当に頑張ってくれた!よくやった!写真はちょっとぼけたけど、実物は美人なのです!

 

迷惑メール

ガラケーに迷惑メールが初めて入ったのは、もう十年以上前でスマホはほとんどなかった。差出人のない馴れ馴れしいメールだったので、親戚の子がよこしたのかと思ったくらいだ。迷惑メールなどという存在も知らなかったのだが、それから何週間かして再度似たようなのが入って来て、これはおかしいと気が付いた。その後連日入るので気味が悪くなって警察に行った。すると、相手にしないで無視しなさい、と言う。警察は実害がないと尻を上げない。しかし、こちらの心は穏やかではない!腹が立ったので、今度はドコモに電話をした。何とかしてくれるとは思わなかったのだが、さすがに大手の客商売である。何とかしてくれた。残してあった迷惑メールのアドレスを調べてくれてから、ほぼほぼパソコンから無作為に送り付けているとのこと。パソコンからのメールをブロックできますが、と言われたのでもちろんOKした。それで、長らく入ってこなかったが、最近になって世間では携帯の端末がガラケーからスマホに代わり、ぽつぽつ迷惑メールが入りだした。ヒマな連中が多いようだ。特にコロナで家にいるニンゲンが増えたり、また迷惑メールでなにがしかの小金を稼ぎたい連中がいて、パソコンをブロックする前以上にメールが入りだした。毎日時間に関係なく、早朝や昼間。夕方、夜中まで送り付けてくる。メールはすべて異なったアドレスで、これはドコモもなんともできないのではと考えたが一応電話してみた。一件一件ブロックするより方法がない、と言われ、ああそうですか、と答えたものの、電話をしている間にも入ってくる。電話は家庭電話を使っていた。こうなると思いつくのはアドレスを変えるより方法がない、ということ!いったん電話を切ってから、アドレスを変えるとあちこちに連絡しなきゃならない、面倒くさいことだ、と気が付いて少しばかり落ち込む。しかし、どう考えてもこれより方法がなさそうだ。なにしろ私のアドレスは小学生低学年でもすぐ覚えられるほどカンタンだった。迷惑メールが入るはずである。

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翌日、長くて変わったアドレスを作りドコモに電話をしてアドレス変更の操作手順を指示してもらった。これにはパケット通信料がかかる。アドレスを変更して、その旨を知り合いに連絡メールを送りまくった。携帯が故障しないかと気になるくらい。知り合いにメールするくらい件数が多いだけでチョロいのだ。一番困ったのはアマゾンにアドレス変更の手続きをしなきゃならないこと。しょっちゅう買い物をするのだから絶対である。いつもなら電話で操作方法を尋ねられるが、今はコロナでコールセンターに職員がいないらしくフリーダイヤルを閉じていた。大いに困った。頼りにしているMさんにメールで訊くと、カスタマーサービスを開けたらヘルプなどがある、とのこと。健闘を祈る、と激励された。カスタマーサービスを見つけるのに大手間を折ったが、あちこちクリックしていると、やっと使えそうな連絡方法に行きついた。どうでも連絡したい方は次の番号に電話して欲しい、とある。半信半疑でかけてみたら繋がった。アドレス変更の操作を指図してもらい、変更できたが、この一連のことを行うのに大変なエネルギーが要ったし、カネも時間もかかった。これは日本全国で換算すると大きな損失である。立派な犯罪になるのに、政府はどうして取り締まらないのか?デジタル庁もできたことだ。三人寄れば文殊の知恵どころではないだろう。真剣にこの迷惑メール問題を考えて欲しいものだ!